minayuyu2019’s blog

Take the first step in faith.You don’t have to see the whole staircase, just take the first step.

学ぶということ

ものごとを判断するときに 二者択一をせまられることがある

 

やるかやらないか 右か左か 上か下か ・・・


どちらかに答えを出す基準は人それぞれ
悩んでいる時間がもったいない
どちらにしたって 何かには気づく
気づけば ”学び” になる

 

気づく人と気づかない人がいる
はっ! と腹落ちする人
いつまでも頭の中でグルグル廻る人
さて この差は何か
痛い目に遭って気づく人 痛い目に遭っても気づかない人
気づいて動く人 気づいても動かない人


すべては “学び” の世界

 

 

 

ここに私の好きな「論語」の中の言葉がある

 

憤せずんば啓せず、悱(非)せずんば發せず。
一隅を擧げて三隅を以て反らざれば、則ち復せざるなり

 

一隅(一つのこと)を示して 他の三隅(全体像)を自分で研究するようでなければ

再び教えることはない

 

自ら考え 動こうともせず 人の答えばかりを貪る人がいる
こんな輩はいつまでたっても ほんとうの上達はしない

 

最も重要なものは "学ぼうとする意思" である
本人の学ぼうとする意思の強さが 学習の成果に最も強く影響する

 

また 学びにはタイミングと相手に合わせた対応が重要だ

始めから結論を教えるのではなく 1つの答えや事象から想像を膨らまさせ 
試行錯誤させることが大切である 

と説いている

 

 

大切なことをなおざりにしてはいけない 

お前はどうしたいのか どうなりたいのか

 

本来の目的を引き寄せよう

 

 

 

 

 

子供たちには受験という一つの試練の時期が訪れている中

痛ましい事件も

決して許されないことではあるが 小さな胸で自分を追い込んでいたのだろう

小さなころから
目当てをもって未来のために頑張れ 頑張れ と言われ続けている
しかし
“いま“は将来のための準備期間ではない
“いま”が本番であり 決して“いま”はリハーサルではない
勉強も今が楽しいはずであるし
受験勉強も本来知らないことを学ぶという意味では喜びのはず
現代は それが本末転倒のところまで行ってしまっている
生きる喜びのための勉強のはずが
後々の まだ得体のしれない苦しみから解放されるために
いまがきつい という勉強になってしまっている

先のことを備えすぎて いまするべきことを見失っている

その将来が訪れたからといって 幸福が訪れるとは限らない
いい大学に入れたからといって 幸せになれるわけではない


「”苦労”の中で”学ぶ“こと」を選択できない若者が増えている


なにがこれから自分にできるかということを考えた時に
自分の人生のことだけを考えて生きていてはいけない
「人は一人では幸福になれない」
そこに思い至らないといけないと思う

「いまを生きる」   とは

丁寧に生きるということ

いまこの瞬間を丁寧に生きていこう
もし そのときにはうまくいかなくても
そのときに自分は最善の決断をしたと思えば 自分を許すことが出来るはず

 

本来の学ぶとういうことの意味を引き寄せよう