minayuyu2019’s blog

Take the first step in faith.You don’t have to see the whole staircase, just take the first step.

いたずらに

若いうちから怠け者で しらけた態度で 人生の勉強をしない者をみるほど

不愉快なことは無い

そんな青年の将来は碌なものにならぬことは言うまでもないが

余程の「碌でなし」でなければ若いうちは未来という可能性を信じて

勉強する志くらいは持っているものだ

 

ところが、壮年になると

もう学ばぬもの 学ぼうとせぬものが大部分で 

帰宅するとテレビと週刊誌とゴロ寝というのが大部分である

生活に追われて 雑用に忙殺されている間に 

だんだん志まで失ってしまう

 

そうなると、案外に老衰が早く来る

いわゆる(若朽)というやつで 

肉体だけは頑健でも精神が呆けてしまうのだ

 

反対に 

歳をとっても勉強を続けている人は

年齢を重ねれば重ねるほど 魅力が出てくる

伊藤仁斎のいう『老去、佳境に入る』である

 

人間はいかに歳をとるかということ

ほっといたって歳をとる というのは馬鹿の言うこと

そういうのは無意味だ

人間はだてに歳をとるのではない

老年はそれだけ値打ちのあるものでなければ・・・

 

いかに歳をとるかということは 実に味のあることである

どうしたことか 歳をとることを悔しがる思想が昔から多い

歳をとることは楽しい 意義のあることなのに

 

人生の妙味 学問の妙味 こういうものは歳をとるほどわかるもの

 

何とも若い時は それこそ未熟

この未熟ということは それだけ味がない

渋み、苦みという味は お茶でも三煎しなければ出てこない

人間にしても同様で やはり五十を過ぎないと出てこないもの

 

諦めには

内容のないような諦めと 非常に高度な諦めがある

高度な諦めを「悟り」といい 

内容のない諦めは 俗にいう「あきらめ」である

一つの諦めに達した場合

命を知る(運命には知命立命いろいろあるが)

その命を知るということになる

 

歳をとるということは

あらゆる意味において 若い時には味わえなかったような佳境に入っていく

これが本当の「老計」というもの

 

若い時に

このまま歳をとって六十になったら 

どんな六十になっているのだろうかと楽しみだった

頭が白くなり 目が弱くなり 思考が硬くなっただけなのだろうか

知識・見識・胆識までにはまだまだ程遠い

けれど、こうして歳を重ねてくると

“なま”の現実を“なま”の自分が生きていかなければ 

本当に自分の人生を生きているとは言えないことが 

ほんの少しだけ 分かりかけてきた

 

あるときは顔を洗っていた

あるときはご飯を食べていた

あるときは酒を飲んでいた

「あるとき」という現実の時間の繋がりのなかで「なま」を生きている

 

 

いたずらに 過ごす月日の多けれど 

道を求むる 時ぞ少なき

               (道元)

 

 

今日で8月も終わる

今年も残すところ4か月 

今年は新しく始めたことが多くあっという間に8ヶ月が過ぎた

いま、思い留めていることを次につなげるために充実した日々を過ごそう

 

「老いて学べば、死して朽ちず」 を肝に銘じて

 

 

そして また明日からは 新しい今月今日が始まる