自らを追い込まねば つかめぬものがある
追い込む間に いらぬものが そぎ落とされていく
また そぎ落とさねば
自らを追い込むことは できない
追い込めど 自らの気づきなきときは
まだ追い込みようが足りないのだ
捨てて つくる
医師は必死で頑張っている。
(千手観音の手に目がついているのは、あらゆる民の難儀を救いとるためだという)
私は相場の「技術向上」(いつまでたってもへたくそで困りもの)には興味はあるが
あまり「儲け」に対しては興味がない。
お金は生きていけるほどにあればいいと思っている。
何事においても私に足りないものは充分に足していただいていると思っているから。
私が中学の頃のある夜の夢で「おかげはすでにやってある」と「もの言わぬもの」が囁かれた。まだまだ「もの言わぬもの」が漠然としか分からず、それでも「ものをいう稽古」が始まった頃だ。
生きていけることで充分な「おかげ」なのだと思っている。
それから、「成り行きを頂くこと」の大切さは今までの社会生活の中でちょっとずつだけれど分からせていただいている。
おかげは既にいただけているのだから足りないものは足りるだけ足していただけるのであればそれ以上のものはあふれるほどには要らない。
相場を始めて間なしにNHKでヌーの川渡りの映像を見た。
川岸で高い土手を登れずズルズルと川に落ちていこうとするヌーを数匹のヌーが助けようとする映像だった。
その川は深く流れは強く、ワニの群れもいる。
流れに逆らって渡ることのできない子供のヌーなどは流され、途中ワニに喰われるものもいた。
足を加えて引っ張るもの、川の方から頭で押し上げてやろうとするもの。
みな必死だった。
私は涙が出て止まらなかった。
ヌーに四つ足はあるけれど手は無い。
人間には頭も足も、便利に使える二つの手もある。
なんで人は人を助けようとしないのか、助けれないのか。
私は無力だ。
ちょうどそのころ「国境なき医師団」の存在を知った。
世界各国の医療現場で日々必死で人を助けようと頑張っておられる。
私にはそんな能力もないし、そんな勇気もない。
「少ないけれど援助だけならできるのではなかろうか」
私に相場をするひとつの目的が生まれた。
「おかげはすでにやってある」
人にしか人を助けることはできない。