ことさらに
人は自らの価値観への執着が強くなると
他の価値観を認めることができず
敵対して排除するまでになってしまう
自分の価値観で人を責めず
一つの失敗で全てを否定せず
長所を見て短所を見ず
心を見て結果を見なければ 人は必ず集まってくる
人生は一度きり
たくさんの人と集い語ろう
先日のブログに書いているように9/18の夕方から突然の右背部痛に襲われ
翌日に診察を受けて「腎臓結石」があることがわかった
LINEで生存確認をしている愛媛の叔父にその話をしたところ、
それは親族揃っての信心ができていないからだと長い長い電話で説教と宗派替えを
斡旋してきた
私は信心深い人には二通りの人種が存在すると思っている
ひとつは、
例えば体に疾患が見つかった→それは神様(仏様)を十分に信仰せずにいるから
罰(ばち)が当たったのだから改心して信心をやりなおすか、宗派を変えてみなさい、もっともっと献金をすればきっと全快する、などというもの
もう一つは、
例えば体に疾患が見つかった→それは神様(仏様)がご時節よくお知らせなさった事なので有難くその機会を頂戴し、なおのこと信心にはげみ、少しでも楽に、少しでも早く
全快の方向に向かわせて頂きましょう、というもの
私は後者の方の考えを持つ者であるので、この叔父の言い分には賛同できない。
なにをして他人の信心の在り方まで否定することが出来るだろう
私は他人様の神や仏を求めるこころを自分の偏見で歪め、導いたりはしない
「神や教えを切り売りするな」と教えられた
難儀をしている本人が助けを求める一心、本心からその教えを乞う心待ちにならなければ、一時の感情や一時助けてもらいさえすればいいという損得勘定で神・仏を求めても長続きはしない。信心はたとえ細くとも長く続かねば自分のものにはならないものだ。
叔父も自分の息子が一つの宗教の信仰によって大きなおかげを受けて助かり、その宗教の熱心な信者であることは十分知ってはいるが、神・仏の「人間よ助かってくれい」との一心でひとの助かりを求めていらっしゃるものを、
「難儀が起きたのは罰(ばち)だ、罰だから改めよ」という自らの価値観の執着と押しつけには、辟易し電話を切った
他宗教の善し悪しや、誹謗中傷をするなんぞ、愚の骨頂である
お詫び、お礼、お願い
大難は小難、小難は無難へのまつり替えを願い
教えによる自分の心の歪みと改まりをさせて頂いている
成り行きをいただく力を付けさせていただく修行をさせて頂いている
人に不足を思わず ものごとの不自由を行とし
家業を務め 身分相応を過ごさぬよう倹約し 心行を行う
人間生きている間のすべてが修行 家業は信心の行なのである
昨日の相場はなんとか日銀総裁の会見内容で切り返しで終わった
まあ、日本のこんな状態で「緩和はやめますわ」なんて言った日には
とんでもないことになっていくだろう
225は
9/15の高値はギャップアップして高値を付けアイランドリバーサルの様相
さて、この高値を抜けるは少し力と日にちがかかるかもしれないので
さて一足飛びに高値を取りに行くには時間が掛かりそうな感じにみえる
本格的巻き返しは10月の決算発表あたりからではないかと個人的には思っている
売りで取れるものもあるので、それはそれで取っていきたい
基本は押し目は買いでいいのではないだろうか
慌てて仕込んでストレスは貯めないようにしたい
来週は9月の配当取り、大きく仕掛けたものは上手く取れそうであるが・・・いかに!
10/2 2日新補は相場が荒れるアノマリーがある