来月の3月14日で また一つ歳を重ねる
すぐそこまで迫って来た
肉体は歳とともに衰えていくが
年齢とともに人間的魅力を増し 人間的成熟を深めていく人を貴老という
貴老 とは老人を敬っていう言葉である
生ける限り 常にぼけないで なるべく有意義なことに興味を持ち
道理を尋ね 情熱を抱き続けることが肝腎であるという
不老長生とは徒(いたずら)に年を取ることではない
老人はいつまでも愚老になってはいけない。
貴く老いる生き方を問いたい
人間の一生というけれど
結局それは“いま“という時間の集積ではないか
充実した人生というが 必ずしもその長さによるのではなく
密度の濃さにかかっている
私 という人生の質は
それを形成する時間の質にかかっていると気づいたのは
やはり自分が“残された”時間を考える年齢に達したからなのかも知れない
もっと自分自身を見つめるゆとりを持ち
与えられる“いま“という時をたいせつに 心をこめて生きてゆきたい
ここにジェラール・シャドリーの私の好きな言葉がある
一生の終わりに残るものは
我々が集めたものではなく 我々が与えたものである
私たちが目先きの損得勘定に心乱れる時
“信じて生きる”ことのたいせつさ
自分が心に定めた生き方を守り抜くことの価値を教えてくれる
“いま“という瞬間を意識して生きたい
「今の心」と書くと「念」という字になると気づいた時
「念ずれば花開く」ということばの意味がわかるようになった
“いま“をたいせつにして生きないと 花は開かない
不要な枝葉を切り落とし身軽になること
維持や執着を捨てて素直になること
他人の意見に耳を傾けて謙虚になることが成熟ということ
今どんなに若くても 学ぶことをしないなら
若くしてすでに愚老の人となる