ちょうど2年前の2月20日
不整脈で倒れ3か月入院した
虚血状態で腎臓や肝臓がめげてしまって 処置が遅れれば死んでいたそうだ
倒れて処置をされてICUに運ばれる間もずっと意識はあった
ぼーっとした意識の中で
「神様 お願いです 助けてください 助けてくださいますよね」
とずっと神に祈り 神に問いかけていた
当時 私のブログの中で
「神を試すな」 と書いている
治りたい 楽になりたい とだけ想い
神をうらみ 愚痴を並べ そして暗い顔をする
祈れば
神が私の願い通りにしてくださる
病気を治してくださる 怪我を治してくださる 難儀を無くしてくださる
というのではなく
どちらに転んでも大丈夫
どっちに転んでも大丈夫 神は悪いようにはなさらないという信頼
腹のすわった心がまえ
そういうものをもって祈ることが大切なのだと気づかされた
祈りは神を変えないが 祈りは じぶん を変える
私たちが祈ると神はきいてくださる
まるで私たちの意のままになる神のように想いがちだが
私がどう願おうと 神はご自分の御心を行いになる
私は「欲しいもの」を願うけれど 神は「要るもの」を下さる
運命は冷たいけれど 摂理はあたたかい
この世の中に起こることを運命として受け取るのではなく
同じ受け取るなら 摂理として 神のはからいとして受け取る
だから 大丈夫 ということ
私の欲しかったことはその時には実現しないかもしれない
でもいつか 神の時間に実現されるのだということ
そう信じて生きることが
すべてを摂理として受けとめるということ
神の摂理として病気をいただいたということ
その時はとても辛かったけれども
いまとなっては あの時あの病気をしてよかったと思う
病気をしたおかげで人に対して優しくなれた
自分の弱さを知ったから
私が変わるために 神が摂理として病気をくださったのだ
そして そう思うことが出来るようになったことが
なにより ありがたい
丁寧に生きる とは
神様のご時節を頂きながら
自分に与えられた試練を感謝すること