ただ
自分の考えの真っ只中にいることを
迷っていると言い
悩んでいると言う
自分で決めた心じゃ駄目なんだ
自分の中で思われる働きを“心”だと思ってはいないだろうか?
それは 自分がつくった 心に対する定義なのだ
お釈迦さまはじめ
悟りを開かれた方々が言っておられる心に対する定義というものを
把握しないとズレが生じる
同じ”心”というものを言っていても共通理解ができない
仏祖方が言われる“心”というのは
四本値を見れば観たように
チャートに向えば向ったように
寸分のズレも間違いもなく必ずその通りになる自分を抜きにして
一切は存在しない
己の全活動であって他の活動は一切ない
その全活動を”心”というておられる
”こころ”が迷ったり悩んだりしているのではない
人間がこのカラダを勝手に「私」と思い
使い始めたから混乱しているだけなのだ