minayuyu2019’s blog

Take the first step in faith.You don’t have to see the whole staircase, just take the first step.

私が・・・

私に「最期までできること」

 

 

自己の本心・魂に忠実に生きること

 

人マネや横並び意識で何となく生きるのではなく

自分が理想と思っている人間像を描きつつ進み

何のためにするのか

目的を明確にすること

 

 

夢・志・生きがいをしっかり画いて生きること

 

単なる夢想や空想ではなく目標自体が日常生活の実践に組み込まれている

目標のある生き方を考え

長期・中期・短期・今日の実行計画を立てて行なうこと

 

 

自分を信じて生きること

 

自信とは自らを信じること

自分すら信じていない人間を他の誰が信じてくれようか

自分との約束を守る生き方が

自分を生きる出発点とすること

 

 

学んで能力を磨いて生きること

 

鍛練とは「鍛」が千日の精進努力 「練」が万日の稽古や訓練をいう

日々の努力を通して自らの潜在能力を引き出す生き方をすること

 

 

今を大切に生きること

 

良い習慣を身につける

過去の事や未来の事に時間を割かないで

目の前の人を大切にし

目の前の仕事をにこやかに行う生き方をすること

 

 

 

 

 

年を取ってから暖まりたい者は 若いうちに暖炉を作っておかねばならない

心の底から好きなことだけにエネルギーを集中すればよい

それに飽きたなら

また好きなことを探して打ち込めばよい

何もかも実験なのだから

その結果がどうであろうと

打ち込んだことだけは必ず身に付いているから

 

無駄にはならない

 

 

 

 

羽生結弦さんの「引退」から読み解く「プロ」の定義

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2月の北京五輪が、競技会で羽生さんが演技する最後の舞台となった

「プロのアスリートとして、理想を追い求めて頑張ります」。フィギュアスケーター羽生結弦が7月、「プロ転向」の意志とともに競技会からの引退を公表した。今後はアイスショーなどに活動の舞台を移す考えを示した羽生にとって、これまでの自分は「アマチュア」で、これから先が「プロ」の世界。だがスポンサーに支援されながら競技を続ける立場が、これまでと大きく変わるわけではない。とすると、プロとアマとでは何が違うのか。昔もいまも定義のあいまいな「プロのアスリート」の歴史と実像に迫ってみよう。(文中敬称略)

プロの資格要件を5つに分類

本来なら、プロの定義はさほど難しいことではない。高度なプレーを提供してファンが楽しめる空間をつくり出し、金銭的な対価を得る。それがプロ。そういう意味では2014年ソチ五輪と18年平昌五輪の金メダリストで、圧倒的な実力と人気を備えた羽生はとうの昔からプロ的な存在だった。

今回のプロ宣言で肩書が実態に追いついたともいえるが、アイスショーで会場が満員になるのはトップスケーターだけに許されるぜいたくでもある。多くの場合、選手が「きょうからプロです」と宣言するだけではダメで、やはり資格が必要なのだ。この資格要件が複雑で、事情も競技ごとに異なることが、スポーツ界におけるプロの位置づけを難しくしている。そこでやや強引に、プロになるための資格要件を5つのパターンに分類すると――。

①プロのチームや興行団体と契約する。

②肖像権を自ら管理する。

③スポンサーの支援で競技に集中する立場を獲得する。

④プロテストに合格する。

⑤アマ規定の残る競技会から離脱する。

お客さんを喜ばせてこそのプロ(7月、プロ野球オールスター第2戦が行われた松山市松山中央公園野球場のスタンド)=共同

日本のプロスポーツ選手の主流は①が占めている。プロ野球や大相撲、サッカーJリーグ、バスケットボールBリーグなどが代表例。プロとアマで競技団体が異なり、選手がプロでいる期間も入団と引退によって明確に線引きされる。

昔は野球も「清く正しく美しい」アマこそ花形だった。対して戦前を起源とし、プロを意味する「職業野球」という言葉には「野球でおカネを稼ごうだなんて」という否定的な感情も含まれていたようだ。

成績に応じた年俸でランク付け

だが、プレーの質を高めようとするならば、やはり学業や社業のハンディから自由になるのがいちばんの近道。プロとして身を立てた選手たちを、球団が成績やプレーの出来に応じた年俸でランク付けする。そうやって続々とスター選手を輩出した野球界は、やがてプロならではの個性と高い技術によって国民的スポーツの地位を不動のものにした。

企業スポーツの時代が長かったサッカー、バスケットボールもプロ化によって企業の中にあった実業団を外に出し、地域社会に向かって「みんなのものですよ」と呼びかけた。今年開幕したラグビーのリーグワンも、一部のクラブが法人化して親会社からの自活の道を探る。

リーグ、球団・クラブ、選手のすべてがプロになる①のケースはプロ化の準備が大がかりで困難も多いが、ビジネスモデルが一度できあがれば、面倒なプロアマ論争は必要なくなる。「お客さんがカネを払うに値するプレーを見せる」という明快なプロの基準があるからだ。

一方、②に多いのは五輪競技などで、競技団体(NF)が保有する肖像権を選手自らが管理するようになった事例。転機の一つは、アマの大会だった五輪がプロに門戸を開いた1988年ソウル夏季大会だった。日本では96年にマラソン有森裕子がプロ宣言。日本オリンピック委員会JOC)が管理していた自らの肖像権を勝ちとると、後に続いた「プロの群像」がCM出演料や協賛金を手にしていった。

いいことばかりとは限らない。NFによっては遠征費などの補助金を減額することもあった。そのためJOC傘下のNFのトップ選手の中には「シンボルアスリート」として、自らの肖像権をJOCに預ける者もいる。協力金を受け取り、協賛企業の広告に登場して出演料も得る仕組み。合宿に遠征、コーチとの契約料といった自分への投資に不可欠な「安定財源」を得られるようになった。

賞金だけでは暮らしも立たず……

③は人それぞれだ。テニスの大坂なおみ(フリー)のように大金を手にするビッグネームがいる一方で、陸上や競泳、体操といった五輪の花形競技の選手でも賞金だけでは暮らしていけない過酷な現実がある。

高校や大学を卒業した有望株がまず目指すのは「社員アスリート」。宣伝効果や社員のモラールアップなどのメリットを認められれば、企業に籍を置いて給料を受けとれる。勤務実績はなく、競技に専念することが業務とみなされる。どれほど困窮していても、当人たちにプロの自覚がなくても、彼らも事実上のプロといえるだろう。

④にはゴルフやボクシングなどの例がある。免許によってプロの証しを立てる制度はわかりやすいが、賞金や協賛金のみを糧道とできる者は、やはりごく少数に限られる。ゴルフの場合、大会で稼ぐトーナメントプロとは別に、スクールなどで指導するティーチングプロがいる。

プロ転向後の10日、報道陣に練習を公開した羽生さん=共同

こうしてみると、プロといっても実入りはスズメの涙という例も多いが、⑤は事情がまた異なるようだ。羽生らフィギュアスケートのトップ選手たちが「引退」と「プロ転向」を公にするのがこのケース。アマのままでも収入の一部を連盟に手渡せばアイスショーへの出演やスポンサー獲得が可能だが、功成り名遂げた羽生がいまになってプロを名乗るのは、金銭や身分だけを求めてのことではないだろう。むしろ、表現者としての欲求に動かされた面が大きいのではないか。

「コンサート」の演奏者になるために

定められた採点方法に基づいて順位をつける競技会を「コンクール」とするなら、個人の自由な表現を許容するショーの世界は「コンサート」。すでに冬季五輪というコンクールを2度制し、自分を誰かと比べる必要はなくなった。そんな羽生が語る「プロのアスリートとしての理想」とは、自分だけがコンサートの演奏者になるという自己実現の形なのかもしれない。

(鱸正人、木村慧)

羽生結弦さんの一問一答

Q: プロになったことで意識に変化はありますか。
自分のことを守りきる、自分のこともちゃんと大切にして進んでいくことがこれからは大事かな、と。競技をしている時代はけがで欠場することもありました。今後、例えば(自分が中心となって)アイスショーとかをやっていくときに、けがで出られないというのはあり得ない。これまでと同様に技術的にはギリギリなものを保ちつつ、その上で絶対にけがをしないという力を養っていかないといけないですね。
最後まで通しきる体力だったり実力だったりが、プロとしてはさらに必要になってくると思っています。アスリートとして、競技者とは違ったステージに上がったと感じていますし、より自分のスケートに対しての責任感みたいなものが強くなりました。
Q:競技者だったころ、表現面で制約を感じることはありましたか。
例えば、点数をもらえないからやらないスピンがありました。でも表現としてはいろいろできるんですね。プロになり、(ジャッジの)評価ではなくて(自分が)見せたい演技をできるという点ではかなり自由度が高くなったと思います。アマチュアにもエキシビションがありますけど、1 つのプログラムとしての見応えを考えるとジャンプを入れざるを得なかったりとか、スピンの内容とかも色々計算し尽くされていますから。これからはジャンプの難易度とか決められたことだけじゃなくて、表現だったりプログラムとしてのテーマだったりをもっと出すことができる。そこはやりがいがあるなと感じてます。
Q:プロとして目指すアスリート像は。
競技者としての強さを持ちつつ、表現者としても繊細さや表現面みたいなものを持ち合わせていきたいなと。五輪で優勝できるぐらいの技術力を常に備えつつ、プラスアルファで表現をさらに磨いていく。そういう意味では、大谷翔平さんじゃないですけど「二刀流」みたいなものを目指していけたらと思っています。
(聞き手は木村慧)