「いま・ここ」の艱難辛苦は
過去から引きずってきたものではなく
未来に受け継がれるものでもない
「いま・ここ」にある「いま・ここ」だけの艱難辛苦なのである
時間のとらえ方を意識的に変えると、
時間は「いま・ここ」が横に繋がっているのではなく
縦に重なっているのである
人の年齢も同じように考えると
新しい年が、過去の年の横に来て、次の年も横に繋がっていくのではない
ただ単に 「いま・ここ」が縦に重なっていくだけ
だから、人は一筋に篤(あつ)くなっていくのであり
篤くならなければならない
他人が飼っている牛を数えても
それが自分のものになることはない
いくら多くのことを学び語っても
自らが実践しなければ本物の修行者とは言えない