人生は
時間ではなく
”只今(ただ、いま)”が どうあるのかを連続して問われ続けている
”只今”の いのちのあり方を選択している
二十歳代には二十歳代の
六十歳代には六十歳代の ”只今”がある
二十歳代には
まだ到達していない 到達するかどうかも分からない
六十歳代の ”只今”はない
六十歳代には
過去の二十歳代の ”只今”はない
”只今”は 「ただ、いま」その瞬間にしかない
その”只今”が
老であり
壮であり
青である
と分別しているだけ
分別しているから
そこにそれぞれ過去もなく未来もなく
そのときに厳然と 老 壮 青 があるのみ
”只今” は「ただ、いま」に何かを失い
失うと同時に
”只今” に何か新しいものを得ていく試練の「ただ、いま」
つまり、「ただ、いま」はいつも初心の時なのだ
花は初心に咲く