“時間“というものは
本質的に眼には見えないところで
川の流れのように絶え間なく流れている
時計のように繰り返すことはなく
未来は現在となり過去へと消えていく
われわれは
そういう時の流れの中に立っていると誤解してしまう
それは動く時計を見るから
本当はわれわれのこの存在そのものが “時間”
人間の身体だけではない
およそ形あるものはすべて“時間”なのだ
自分というこの存在が
絶え間なく変化している時間そのものだとすると
ひとときものんべんだらりとしてはいられないはず
しかも時間はただ動いているだけではない
“時間”は閻魔さまからもらった "命の水"
それがこのカラダという大小のバケツの底の穴から
今も ポトン ポトン と漏れている
とき ひとをまたず
ひとは ときなり