”時” は不思議
人は”時”があるから悩む
そこに止まっていれば悩まない
動くから何でもないことがこころを悩ませる
時間に流れがあるとしたらその流れの中の二点間の距離
長いか短いか
そういう測り方が習慣となっている
それは時間と私という存在を区別して考えることができるから
しかし、時間と存在を分けることはできず
それらは一体であるはずなのだが・・・
時間と存在が一体であれば
時間は存在として現れ
存在はみな時間であると・・・
それでは、死に至る時間は何のために有るのだろう?
薔薇の盛りの季節は終焉となり
玄関の階段下に切り花として楽しむ
これらにも”時”がある