minayuyu2019’s blog

Life is what happens to you while you're busy making other plans.

自分という庭師

こころに雑草が生える

 

これを取り除くにはどうすればいいのか?

果たして、この雑草とは なにもの?

 

雑草が生えない土壌(こころ)をつくることはどうすればできる?

雑草も含めこの庭をどのように創造するのかは

自分という庭師の責任

 

はたして、庭の作り方まで他人任せにはしてはいないだろうか?

  

草とは「煩悩」

 

思い込みや欲望などに惑わされると

正しいものの見方や正しい行いを妨げてしまう

こういう思い込みや欲望がこころの雑草なのだから

こころが雑草だらけになれば

こころの庭にもともと咲いている綺麗な花も 見えなくなってしまう

 

だから、一心に自分の行いに取り組めという

自らの存在意義に没頭している時の精神の高揚に到達すれば

こころに雑草が生えるスキはない

 

知らず知らず自分のこころという庭に

花と思って雑草を育てている

 

いまの自分の置かれている現成に不満ばかりを抱いて

自己否定をしたり

アレコレと他人と比べて 

ないものばかりを欲しがったり

気分のいいときには傲慢になり

また反対に自分を卑下したり

 

知らず知らずに 雑草の種子を植えつける

 

人間は不完全

 

不完全性の自覚から出てくるものは 

謙虚という名の種

謙虚なこころあれば雑草は逃げ出す

謙虚なこころは無色

 

雑草は 

色のついている“心”を好む

 

 

 

毎夕方の薔薇(70数種)への水やりと雑草の草抜きが私の日課になっている

これだけ猛暑が続くと水を撒く方も汗だくでヘタって来る

夕方と言えど気温は下がらない毎日、すぐに風呂場に駆け込み汗を流す

 

雑草を抜きながら若かりし頃の修業時代を思い出す

「我」という雑草は知らず知らずに生えてくるが

その雑草にくるまれてしまっている自分に気づかない

自分のこころには雑草は生えてはいないだろうか、

長く首をもたげたような雑草ははびこってはいないだろうか

黙々と師匠の庭の草取りをした

 

「傲慢」の汚れがこびりついてはいないだろうか

ご神前の100畳の畳の水拭きとからぶき

やり終えた時は汗だくで作務衣もびっしょりと濡れていた

 

作務を終えて草取りや畳拭きをしたうしろを振り返れば

すがすがしい気持ちを感じる時とそうでない時があった

すがすがしさを感じぬ時は

「我」の雑草を抜き切れていないのだ、「傲慢」の汚れをぬぐえていないのだ

自分の「我」が邪魔をして無心で作業が出来ていないのだ

 

次の日の作務がはじまり、また、こころの雑草を抜く稽古が始まる

謙虚になれぬうちはこころの収まりはない

 

「自分」という庭師は死ぬまで続けるだろう

「我」という名の草取りと

「傲慢」という名の汚れをふき取る畳拭きの稽古

どれも知らぬ間にまとわりついているものだから・・・