いまのおまえにとっては 必要なものを十分に
ちゃんと ちゃんと そろえていただいておるのだから
みぎを向けば あれがほしい
ひだりを向けば これがたりん と
あれや これやの 不平 不足を 言うではないぞ
ありがたい
ありがたい
ただ ただ いまおるじぶんが ありがたい
おかげは わがこころにあり
今日は家族で初詣。
毎年、3日か4日に出かける。
人が多いのが苦手でもあり、神様もあまり多い日に行ってお願いをしても、人の願いが多すぎて私なんぞの願いを聞き入れてもらえそうにないから・・・なんて思ったり。(しない。)
毎年必ずおみくじを引く。
私は大吉よりも吉とか末吉を好む。
大吉ならばこれ以上の吉はないが、末吉ならばここから一年が吉や大吉の良い方に向かって行くと思っているから。
基点が違うと言うだけのことなのだが、
家内は逆で、大吉が出るまでおみくじを引く。
新年にあたってこの一年が大吉の一年でありたいと願ってのこと。それも分からないではない。
昨年は4回引いて、今年は2回目で大吉を引き当てたようだ。そこまでして大吉にこだわる意味はないような気もするので、私にはなんのこっちゃわからない。
私はこの新年を祝うことや神さんにお願いをすることに拘りはことさらない。お礼とお願いの毎日だから。
私は物心ついてから毎日、
朝起きたときには「今日も十分に休ませて頂きました。お陰様で無事に目を覚まさせて頂きました」とお礼を言い、
寝床に着けば「今日も十分に遊ばせて頂きました。お陰様で無事に床について休ませて頂けます。十分に休ませて頂けますように」と一日のお礼とお願いをしてから眠っている。
神さんを人にたとえるならば、毎日通ってお願いしに来る者には神さんだって情を通わせ良いようにしてあげようと思うだろうが、1年に1回ほどことさら神妙にお願いしに来る者に情は移るまいと思う。
失礼なたとえかもしれないが、これは商売にも通じると思っている。熱心に訪問する商売人にほどなんとかしてあげたいと思うものではなかろうか。
少し違うのは、有り難いことに神さんには人の好き嫌いはない。