minayuyu2019’s blog

There are two kinds of worries - those you can do something about and those you can't. Don't spend any time on the latter.

支え

ともすると 苦しい つらい ということが先へ先へ出る

寒い 冷たい

眠たい 面倒だ ということも

 

そんなとき

動かせてもらえる力が 与えられている

歩く力が 与えられている と思うてはどうか

 

それを

ありがたいと思うて楽しんで仕事をすると くたびれない

ありがたいとお礼を申す気持ちを先に立てると たいぎな気持ちはあとになる

 

つらいということを先へたてておったら だんだんつろうなってくる

つらいことばかりを考えるより まず動けるということを ありがたいと思う

このありがたいほうを先へ出しておる人は

つろうなってくる暇がない

 

お金もうけをしたい 楽して生活をしたい 

いまの仕事は屑だ 屑な仕事から早く抜けたい

誰しもが少しは思うことなのだけれど 

仕事は屑じゃない 屑なのはそう思っている自分

 

いま無事に不自由なく暮らせれおることに目を向け

いま出来ておることに 思いを巡らせば

あれもありがたい これもありがたいと 

ほんの小さなことがらも ありがとうなってくる

 

自分がやった 自分はできる わしが・・・ わしが・・・

自分を先に立てる生活をしていると

自分を立てれなくなったときに 

支えてくれていたもののありがたさを知ることになる

それでもなお 支え続けていてくださっておるという おかげを知る

そのとき はじめて 

“気づき”という おかげをいただけるのだろう

 

ありがたいこと

 

 

 

 

もの言わぬものと ものをいう稽古

 

 

私には最近嫌いな言葉が二つある

社畜」と「親ガチャ」

 

何言ってんだ って思う

社畜

社畜とは、会社のために働く家畜のような状態の人を指す日本の造語だが

自分を社畜といえるほどまでに会社に奉仕しているのか

それを奉仕だと考えているのなら それで苦しくてたまらないのなら

会社をとっとと辞めればいい

昔リーマンだった頃

「もう辞める、辞める」と言う奴に限って

私が辞めるころにはまだ会社に居た

不平不満ばかりを言っている暇があれば

自分のひととしての実力をつけさせてもらっている所にお金を頂きながら居れるのだと

なんで考えられないのか

ひょっとして会社にとっては「おまえ」など居てほしくはないのかもしれないのに

 

賃金を頂いている間は性いっぱい働かせていただく それは当たり前

お金を頂いているのだから

「ほんとに嫌なら辞める」これが今風に言えばマストだろう 

むしろ自分の為にも会社の為にも 辞めるべきだ

 

「親ガチャ」

なにが「親ガチャ」だ

 

「生まれか育ちか」について議論する際 

どちらも親によって決まるというのも事実

遺伝も環境も親が決めるのだから 「親ガチャ」という概念は正しい

 

ただ 自分自身が努力もせず親のせいにする のはやめないか

 

親だって「子ガチャ」があればガチャしたい思いの親はいるだろう

ただし 親が間違ってはいけないこともある

親が犯す最大の過ちは 子供の「結果」にこだわること

子供がコントロールできない「結果」を求めることは子供にとって過酷だ

そんな親も増えている

セックスをして子供が生まれたから(仕方なし)親になったとくらいにしか

思っていない親も多かろう

自分たちが 子あっての親である ことをちゃんと理解していない

 

格差が広がる中で

富裕層を見て「親がお金持ちだから成功したのだ」と考えがちだが

必ずしもそうとは言えない

親が成功の追い風になるのは紛れもない事実

多くの場合 恵まれた家庭の人たちは自分自身に誇りを持ていて

自力で成功したいとも考えている

そして 親の力に関係なく成功できる人もたくさん見てきた

 

この世に生を受けた以上

与えられた場をありがたいと思えるかどうかが

人生の一歩目

 

「やってみなきゃわからないところはある。

  でも必死になってくらいついていきたい」(羽生結弦

 

と人生を自力で進んでみたらどうか