minayuyu2019’s blog

Life is what happens to you while you're busy making other plans.

左手を放せ

木の上に天狗がおりました

 

下から「もしもし天狗さん、あなたの弟子にして下さい」と申しましたら

上から天狗が

   「弟子にしてあげるが、

    お前、木の枝にとまっているから、右の足を放しなされ」と申しました

右の足を放しましたら

   「左の足を放しなされ」と申します

左の足を放しましたら

   「右の手を放しなされ」と申します

放しましたら

   「左の手を放しなされ」と申しました

「天狗さん、この左手を放しましたら、谷間に落ちてしまいます」と申しましたら

上から天狗が

   「それでは、私の弟子にはできませんなあ」と申しました

 

 

丁度、36年前の8月30日

私のこの60数年間での最初の大難儀がおこりました

思い悩み一日2時間ほどしか眠れず、食事もほとんど喉を通らず

日増しに痩せていっておりました

 

上の話は私が難儀難渋しております時に

私の広島の親師匠がたとえ話としてしてくれた話です

私はなかなか左手を放せませんでしたのでとても長い間難儀が続きました

これでもか、これでもかと押し寄せてきます

 

親師匠にその時その時に、自分の苦しさをご報告いたしますと、

ある日のこと

「ええか、「死んでもままよ」と思うて「一心」になってみ。

 人間、少々のことでは死にゃあせん。

 ああじゃろか、こうじゃろか、思うとる心がある間は助からん。

 難儀はのう「心得が違うておる、気を付けよ」とのお気付けであるから

 今までとは心を改めて、こころ根を強うしていけば、

 難儀もおかげになってくらい。

 一心に「助けてくれい」と願うてやってみい。

 あんたにゃ、まだそこが足りんのよ」と。

 

そこから数か月、「一心になる」ご修行、稽古をさせて頂きました

左手の親指を放し、人差し指を放し、中指を放ししていきました

小指まで放せきれたと思えたとき

もう難儀は難儀ではなくなり

最初に思いこんでいた結果よりも逆に、不思議なほどより良き展開になっていきました

 

「死んでもままよ」

人間は弱い生き物ですが 一心になりきることさえできれば

難儀はおのずとおかげになっていきます

難儀は「心得が違うておる、気を付けよ」とのお気付け

こころの根を、丁寧に、強よう育てていきましょう

 

 

もの言わぬものと ものをいう稽古