2025-06-01から1ヶ月間の記事一覧
食事のえり食い ひとのえり食い 仕事のえり食い 場所のえり食い さらには人生のしあわせ、ふしあわせをえり食いし 人生のどん詰まりにきて、せめてコロッと逝きたいと 死に方のえり食いをする 生涯、えり食いの七転び八起きのなかで えり食いしてることにも…
人間のものさしは自分の都合次第で どのようにでも伸びもし、縮みもする 自分の思いを主人公として 思うようにならないとぐずったり、あばれまわる そういう自分を冷めた目で見据え、見守り またはなだめすかし、励ます もうひとりの“じぶん”を育てること 「…
「鰯の頭も信心から」という 信ずることによって生み出される力の大きさを語ったものだろう 「病気」は気を病むと書き、心(気)が大きく揺り動かされるから なんであろうと信ずることの心理的な立ち上がりが 病を克服する力となることは間違いない しかし、…
手ひとつでも 五本の指をこぶしにしてふりおろすか 指を開いて合掌するかで 世界は大きく変わる わたしひとりのこころの中に 地獄から仏まで 全部持ち合わせている 半導体関連株が牽引する日経平均の強さが目立つ が、この動きには注意が必要 財務省が発表し…
一生のうちにはいろいろある 山も、坂も、谷も、天気の日も、嵐の日もある だれのうえにも・・・ それをどう受け止めるかで 結果は天地とへだたる いつまでもぐずり、人を恨み、おのれを恨み いつでも暗い顔を引きずり回していたら 不幸という明日をみずから…
じぶんで作った値段表で みずからをしばって動きがとれない 本来比較できるものではないのに 自分の授かりの姿におちついておればよいのに それがもっともむずかしいとは・・・ じぶんのはからいを捨てて 肩の力を抜いて 生地で生きてゆけばよい トマトがト…
私の躰は「わたし」のもので この「わたし」が支配し「私」の存続に使っている・・・ なんとなくそんなふうに思っている でも、本当は逆なのではないか いのちの働きがあり「わたし」はその上に乗っかっているだけ 生きるための努力の一切を投げ捨て 眠りこ…
「じゃあ、またね」と軽く言う 「また」という日、「また」という機会が 間違いなくあるという確約はまったくないのに みな「また」という日のあることを信じて疑わない その「また」の思いが、いまの出逢いをうすっぺらなものにしてしまう
死すべきものだから いま、命あることが たとえようもなくうれしく、ありがたい 死ぬことがなかったら 生きてあることはあたりまえ あたりまえのなかに 生きてあることの感動はない さてさて、明日はどういう幕開けになるんだろうね
病が またひとつの世界を ひらいてくれた 桃 咲く (坂村真民) 「苦は仏よりのたまわりもの」という みな健康で長生きをと願うが 病むからよいのである 失ったことのおかげで開くことのできた 豊かな授かりの世界への開眼 無常を見つめる目の深さが、人生を…
見えること、聞こえること 食べたものを消化すること 不必要なものの排泄 そして眠りさえも すべてが授かり 天地いっぱいの働きを刻々にいただくことによってのみ いまのひとときの命があることに気づく 大切なこと 授かりものは まずは2000くらいまではある…
月の夜も雲間があったほうがたのしいように 人生の旅も変化があったほうがよい 愛する日があり 憎しみあう日もあり 成功して天に昇るような思いになったり 失敗して谷底に沈む思いになってみたり 生まれたと喜び 死んだと嘆く 一方の姿にとらわれず つねに全…
どこへ行っても うまくゆく人がいる どこへ行っても うまくゆかない人がいる 原因がむこうにある相手にあると思ってはいけない 行く先々に私の世界を展開して歩いているのであり 自分の投影を見て歩いているのである 私の中のイライラが 相手の中のイライラ…
薔薇の華やかな花々の季節も一旦終了したが 次第に暑くなっていく昨今、 朝晩の水やりは今まで以上に欠かせない 来年に向かって手入れの毎日は続くのであるが、 花の散ったあとのバラのとげに、急に繁殖し始めた「蚊」を防ぐための 長袖のシャツがバラの間を…
ここまでは出来たと 喜ぶべきことを これしか出来ぬと 言いてなげくか 今朝、この言葉の呼びかけに目が覚めた お神様の投げかけ いたらなさ、慢心への戒めか 内省せねばならぬじぶんのこころを探す 少しでも、ほんの少しでも 本来、喜ぶべきことを当たり前と…
人には 『できること』と『できないこと』がある 自分で自分の枠をつくってしまって、 『できない』と思っていることのほうが圧倒的に多いだろう 今まで『できない』と思って『やらなかったこと』の中に どれだけ『できること』があったか ああ、もったいな…
気持ちがめげそうになった 書棚から一冊の本をとった 気休めを求めていたつもりが、逆に厳しく諭される言葉に なんとなく開いたページに明明と燃えていた 他人に観てもらうより 自分でじぶんを観る じぶんのどこがいけないかを 自分で見つける この自己観照…
悩みというものがある人には、 生きがいがある 悩む生きがいがある 何もかも都合よくいって、いいことづくめであったら、 生きがいがなくなってしまう だから、自分で生きがいをつくらないといけない 悩みがあるのは結構なことで、 それは、うまくいっている…
私の住む地方も梅雨入りしたようだ やっぱうっとうしいなあとか、 早く雨が上がってほしいなあとか思いながら、 雨音を聞くのもいい だが、それはいつものこと 聞くままに また心なき身にしあれば おのれなりけり 軒の玉水 (道元) しかし、一生に一度くらい…
「ここ」を離れて心の修行を求めてはいけない 見ようと欲するならば、ただちに見よ だがそれについて思考しようとすれば、それはまったく失われてしまう こころから離れてこころの修行はない ただちに見よ、いま、ここしかない 履物をきれいに並べることも非…
ひとの変化のきっかけは身近なところにたくさんある それは、 いままで避けてきた、あるいは見て見ないフリをしてきた「面倒なこと」を、 「面倒だけど、しよう」ではなく 「面倒だから、しよう」と実行することから始められる そして、 その「面倒なこと」…
今日が人生最後の日だとしたら、 私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか? 生命は、 時という画布の上に、みずからを描く そして時は、けっしてくりかえさない ひとたび過ぎゆけば、永遠に過ぎ去る 行為もまた同様 ひとたび行なえば、行なわれる以前…
自分のなかに、 その人を見て自分と比較して優劣や強弱をつけてしまう「甘え」の構造 無意識のバイアスをかけている 何が欠けているのか? その度に自問自答してみるけれど 欠けているのではなく 実は持っているのである それは「慢心」 慢心は禁物 いつも初…
他人に 注意を向けるのと関心を持つことにとらわれている人 自分に 注意を向けるのと関心を持つことに究尽する人 失うものは同じ 失うのものはすべて自分の持っているもの 自分 というものを知らないものだから いわゆる心を尽くし、己を尽くさない せっかく…
自ら反(かえ)らざれば、それは自ら反(そむ)くことになる 自らに反る、自分で自分に反る 人間が外にばかり目を奪われ、心を奪われてしまって、 自分というもの、内面生活というものを見失いがちである 自分というものを忘れたり、いい加減にして、いたず…
大切なことは自己受容である 自己受容とは 簡単に言うと”ありのままで生きること“ ありのままの自分を受け入れ、その通りに生きること 自己肯定との違いは、「できない自分」を認めるかどうか 自己肯定は できないであろうことも「私にはできる!絶対できる…
人生の深さは 世の中の小さなことから大きなことまで 他人事として見るか 自分事として見るかで決まる 心ある者は なにを見ても なにを聞いても 「わたしのこと」として受けとめて学ぼうとするが 癡人(愚かな者)は自分のことも他人事のようにしらけて見て…
言葉というものは それを聞いてわかったつもりになるが 実は何もわかってはいなかったりする 昔、出逢い、感動した言葉のひとつ 大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと、神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。より偉大なことが…
「腹八分目に医者いらず」という 飽食の時代とは「豊かな」ことの証左ではない たくさん、好きなものを、飽きるほどに食べられることは不幸なことでもある 日本人の心にその感覚が自然となくなっていくことは「もったいない」という 日本語が消えていくこと…
はやいもので今年も半年すぎた もとより時間の経過は 死に一歩近づいたということである 死ほど平等なものはない 貧富・貴賤を問わず訪れ、けっしてごまかすことができない 「あとで挽回できる」と思ってしまうと 自分に甘い選択をしても気がとがめなくなっ…