minayuyu2019’s blog

Part of being optimistic is keeping one’s head pointed toward the sun, one’s feet moving forward.

2025-09-01から1ヶ月間の記事一覧

気は持ちよう、いただきよう

人間の本当の正しさは、平らであるということ いつもたいらでいることはむずかしい たまに右や左に傾いたり、 ときにはある方向に傾き続けることもある たいらでないのは、なにかにこだわるから 人はなにかにこだわっていないと生きていくのがむずかしいから…

戯論の時代

戯論の時代になってきた 皆が、 なんでソウなったの、 なんでソレが起こったの、 どうしてソレがソウなの、 因果関係を分別臭く分析したがる 説明と責任の時代の象徴がこれらの言葉なのだろう みんなが、何かを説明しないと、説明できないと不安になる症状の…

ひたすらに「現在」を生きている

季節は春から夏、夏から秋へと順にめぐってゆく やっと、暑い夏が過ぎて秋になる 小さな頃から、そんな風に教えられ季節はめぐってくるものだと思っていた 意識のなかに、時間的な前後関係があるからだ だが、それはおかしい、と道元は諭す 難解だが、気づい…

簡単明瞭

簡単明瞭なことほど、奥が深い 弟子が利休居士に、茶の湯の秘事を尋ねたときのこと 利休は、 「茶は服のよきように点て 炭は湯の沸くように置き 花は野の花のように活け さて夏は涼しく冬は暖かに 降らずとも傘の用意 相客に心せよ 刻限は早めに」 と答えた …

執着

人はこころから離れることはできない 人は執着するこころから離れることはできない 人は自らの愚かさから離れようとすると 人に迷う 人は自らの愚かさの裡(うち)を知ると 人に迷わない 「自己をはこびて万法を修証するを迷いとす、 万法すすみて自己を修証す…

本物にはなれない

まともなことがまともに受け容れられれば まともかも知れないが、 そもそも、まともなことが本物とは限らない 自分の辞書によって判断している以上、 何がまともで何が本物かは人の数だけある だから、みんなほんものでいい ところが、自分の本物は認めて欲…

一歩

今が満足できないのならば 一歩踏み出してみる 今までのことで満足できることがないという発見である 今までの中に自分が満足できることがあればそれをやればいいが 一歩を踏み出すということは そういう満足するものがない状態であるわけで だったら、自分…

叩く

鐘は小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る 小さな質問をすると、小さな答えが返ってくる 大きな質問をすると、大きな答えが返ってくる 質問を変えてみると、人物がわかる 質問は口から発するので相手を叩いていることになる 叩いて・叩かれて、人…

シュラバ・どたんば・正念場

修羅場・土壇場・正念場は人を育てる 「できる」と「できない」では差がある 「やる」と「やらない」では差がある 差がなくなれば安定、差が少しでもあると不安定 差はすべて安定を求めているから生まれる いつも自分の内側で作られている 人はこの「差」を…

人というものは

人というものは 自分のことはさておき、他人が批判されることに、 なぜか快感を感じてはいないだろうか 無意識の世界はみんな「私が最高」の世界なのかもしれない 自分が当事者ではない限り、 他人の批判を聞くのが快感だとしたら、 いつも人より優位に立ち…

自分が自分を知らざること

正当な評価なんてないのに、 正当に評価して欲しいといううぬぼれと毎日つき合っている現実がある 自尊心が傷つかないようにと、いつも居心地のいいところに住み着いて、 身や心を守っていながら、あり得ない「成長」を期待する 人間なにが悩みかというと、 …

真の贅沢

「贅沢」の捉え方は価値観であるから、 たくさんのお金を使ってする「贅沢」もあり また、何も欲しくないという「贅沢」もある 真の贅沢とは? よく「人間関係がわたしの財産だ」という人がいる これは「わたしの財産」だと[物質]にしてしまっているので、 …

言葉

食べ物は噛むからいろいろな味を味わうことができる 他人から発せられた言葉も、自分なりに噛むからその時々で、味わいが違う その時々で、そのタイミングで深く味わえる時もあるが、そうでない時もある 自分の舌次第で感じ方が違うとすれば、相手には大変失…

杓底(しゃくてい)の一残水

一枚のティッシュペーパーには、 ティッシュペーパーでなければ果たせない作用がある 携帯電話ではこぼした水を拭くことはできない 一枚の薄いティッシュペーパーはそれができる この機能や作用が仏の智慧 すべてのもののものであらしめるはたらきが仏心(仏…

こころを映す

円(まど)かなること大虚(たいきょ)に同じ 欠(か)くること無く余(あま)ること無し 円は始まりもなければ終わりもない ここが中間というところがない どこをとってもそこは始まりの終わりであるし、終わりの始まりでもある 「円窓」ということばには 「己の心…

別の”大”ウソ

多くの人が今度の戦争でだまされていたという しかし、責任を軍や官僚にのみ負担させて 彼らの跳梁を許した自分たちの罪を 真剣に反省しなかったならば 日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう 「だまされていた」といって平気でいられる国…

こぶしの出会い

知人宅に遊びに行くと、ちょうど孫を預かっているところだったので 久しぶり(20数年ぶり)に赤ちゃんをあやさせてもらった 赤ちゃんの手はいつも握りこぶしだ、握っている 親が指一本差し入れると、ぎゅっと固く握りしめてくる、なかなか離さない 本能だ…

正しい生き方

正しい生き方は「ひとつ」である。 迷いが無ければ、 人として自己を丹誠することができる いま、子どもに向かって堂々とモラルを説ける大人が どれほどいるだろうか これはしてはいけないことだ、あれはこうすべきだと、 明確に規範を示し、倫理を説ける そ…

選り好みをしなければ

人は自分の視点(ものの見方)や 自分のやり方・考え方にこだわっているということを、あまり自覚していない 当然のごとく意識もせず自動的にそこに固執してしまっている 数多ある視点のなかから一つの視点を選び、 そこにこだわっていることに気づけば、 それ…

自ら自らに反(かえ)る

石につまずいて転んだ なんでこんなところに石なんかあるんだ、石を蹴る 責任を石に向ける つまずいた時「ああうっかりしていた。おれもまだまだだいけないぞ」と反省する 我慢するのでもなく、忍耐でもない、ただ、ただ、自然に自ら反(かえ)る 自反とは な…

自己実現

「解釈」には 主観的に解き明かすという力強い意味がある だから、今までと違う解釈をする、解釈し直すことも可能である いままで見えなかったものが見えてきたり、 いままで気づかなかったものに気づいたりできる その主観性を深くするために、 反省や自己…

器(utuwa)

器は、何を容れても、その何は器のカタチに従ってしまう 方円の器に従うのは水ばかりではない 実は人間の身体も“器”なのである 何を容れることができ、何が容れられないのかは人の数だけ カタチも容量も異なる器 ただ、人はいつも他人は自分と同じ器だと思っ…

背骨のない国

じぶんで自分のことが決められないのは なにも“ひと”に限ったことではない 日本とは? 日本人とは? この国のカタチが こうした問いを忘れてしまった結果として “いま”がある 背骨のない国 自国の首相や(国益を守ろうとする)為政者たちを貶める報道も多くな…

己の姿勢

気づく人と気づかない人がいる 目覚めて「はっ!」と腹落ちする人と いつまでも頭の中でグルグルの人がいる この差は何か? 傷ついて気づく人、傷ついても気づかない人 痛い目に遭って気づく人、痛い目に遭っても気づかない人 気づいて動く人、気づいても動…

“ジジィ”

だれも年を重ねたからといって“ジジィ”にはならない 肉体的生理的老いはやがて訪れるけれど いつまでも新しい経験や学びを追究している白髪頭に 「老い」は来ない 「君子は義に喩り、小人は利に喩る」という 小人ではなくても 自分の保身のためだけに自分が…

笑ろうて、泣いて過ごせばよい

我々は、この世に遊びにきたのだ それを、舞台でいうなら、誰もが色々な役を与えられ、それぞれの役を演じている ときには、通行人だったり、商人だったり、殿様だったり、家来だったり その役は、人とのご縁によって決まる どんな役を与えられても、その役…

隻手(せきしゅ)の音

「片手の音を聞け」という公案がある 現在、臨済宗の道場では「無字」などとともに最初の関門とされているらしい 白隠が六十三歳の時に創作した有名な公案 「両手をうてば声がするが、隻手(片方の手)には何の音があるか」と いうもの 何の音もしない、その…

たらいの中の水

親師匠が常々言っておられた 他人も自分の躰のことすらも カラっとさっぱり放っておいて、(神様に)お任せしておればええんよ 毎日毎日、眉間にシワを寄せて苦しんでおらないけんのは ただただ、“放っておく”というたったひとつのことができんからよ 人間は…

じぶんの言葉

「無理」という人は挑戦をしない 「まずやってみよう」と言えば足は前に出る 「私なんて」という人は努力をやめる 「私にも出来ることがある」と言えば自分の力を探し始める 「時間がない」という人は工夫をしない 「今の時間を工夫しよう」と言えば隙間の5…

二人の牛飼い

禅の喩えの中に、こんな話がある 2人の牛飼いがいて、1人の牛飼いは99頭牛を飼っている。 はたから見ればとても裕福なのだが、この牛飼いは、 あと1頭いれば100頭なのにとしか考えていない。 もう1人の牛飼いは3頭しかいないけれども、 それで家族を…