戯論の時代になってきた
皆が、
なんでソウなったの、
なんでソレが起こったの、
どうしてソレがソウなの、
因果関係を分別臭く分析したがる
説明と責任の時代の象徴がこれらの言葉なのだろう
みんなが、何かを説明しないと、説明できないと不安になる症状の時代
「理由と言い訳」が問題の本質を避けて、空中で火花を散らす時代なのだ
戯論(けろん)とは仏教用語
読んで字の如し、戯れの論
無意味で無益な言論のこと
しかし、原語の意味はそうではないようだ
「証して分別を離るるを、不戯論と名づけ、実相を究尽す、乃ち不戯論なり」と、
道元禅師は説かれる
妄想分別を離れて、真実を究めつくす
静寂で、乱心の消滅した安楽な境地を願うならば、戯論の弊害を滅却しなさいと・・・
妄想や分別による意味のない議論だから、そういう無益な議論をすると心は乱れてくる
一切のものは時々刻々変化している
「ありのまま」も「そのまま」も、
「いま、ここ」もない
「常ならず」はとどまることがないことなのに、なぜ、何かに執着しているのか
「念々止まらず、日々遷流して無常迅速なること、眼前の道理なり」(道元)
糠喜び・・・
端末の5分割銘柄の利益だけで億り人になっていた
おおおおお~っ 9桁の数字が並ぶ
えええええええっ~こんなになるのお~て一瞬の戸惑いと共に歓喜した
プツンと画面が消えた システム点検だそうな
今朝、恐る恐るサイトを開いた、数字は正常に戻っていた
なんのことはない、証券会社のバグだった ってさ (あほ)
ただ秋の夜の夢のごとし・・・