minayuyu2019’s blog

Life is what happens to you while you're busy making other plans.

おかげさま

あるとき、仏様が道ばたに立っていた

すると、一人の男が荷物をいっぱいに積んだ車を引いて通りかかった

しかし、大変なぬかるみにハマってしまい、懸命に引いても車は動かない

汗びっしょりになって男は苦しんでいた

その様子を見ていた仏様は、ちょっと指でその車にふれた

その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていった

 

男は仏様の指の力にあずかったことを永遠に知らない

自分が努力して 

ついに苦しんだ挙句に引き得たという自信で その車を引いていった

もしその仏様のお力によってその車がひき抜けたことを男が知ったら

男は仏様に跪いて感謝しただろう

けれども、それでは男の一人で生きていく力 生き抜く力は

何分の一かに減っただろう

 

 

おかげさま

 

 

仏様の指がちょっとふれた

いや、仏様は見るに見かねてふれようとしたが

ふれるかふれないかのその間際に

男は「自分の力」で車を引いていったのかもしれない

だから、仏様の指はいつもここにあるんだ

仏様の指がちょっとふれようかふれないかは

自分たちの力次第なんだ

 

「ついに引き得たという自信と喜び」をかみしめた男は

その後、荷車が同じようなぬかるみにハマることがあっても

何とかその局面を打開しようと

力をふりしぼって生きていこうと努めるだろう

そうであったにちがいない

 

見えない力は いつも見えないだけでいっぱいあるんだ

しかし、その力はほんとうに「自分の力」を出し切ったときにおとずれるもの

みんな

オレがオレがじゃなく おかげさまで生きなさい

そうしたら力がほんものになる

 

 

 

幼きころに

自転車こぎを覚えるとき

転んでは足を擦り剥き ペダルを折りながらヨロヨロと

恐怖の揺れの中で必死で動かしていた

バランス感覚がなく自転車を漕ぐのは至難のことだった

後ろの荷台には父親の手の支えがあった

いつしか、支えてくれているものだと思って自転車をこいでいたとき

後ろを見てみると 支えている手はなくなって 一人で乗れるようになっていた

信じられないくらい父親は遠くに立っていた

手を放したのがいつかはわからない

一人でこげたことがうれしかった

 

 

おかげさま

おかげさまの中でずっと生きている

 

 

 

 

 

はやくも10月

おかげさまで今年もここまでたどり着けました

ありがとう

ありがとう