ちちははも 子供とともに生まれたり
育たねばならぬ 子もちちははも
ブログを再開し色々な子育てのブログを拝見する。
子供らも成人したいま、改めて(よい)親とはいったいなんだろうと思う。
親があって子供ができたということは、子供ができて親にしてもらったということ。
子どもと、その父と母が一緒に誕生したということ。
子供ができてめでたいということは、二つの中身を持ったひとつのことなのではないか。
子供が無事によい子に育つことを願わない親はありませんが、その子の父となり母となった親が、子供とともに無事によい親として育っていかねばならないと思う。
子供が10歳になれば親も10歳なのであって、子供の親となってからの年は同い年であるとも言えるのではないか。
でも、ついつい年上のつもりでいるから大柄になりがち。
子供は親を見て育つといいますが、あれは本当だ。
私の嫌なところばかり似てくるようで気が気でなかった。
実際にいろんなところが似てきて、自分自身の嫌なところとかぶさると特に鼻につくようになる。
そんなとき良い子になってほしいと願う親が、良い親になることを忘れ、その努力を怠ってはならないことだと自分の至らなさを反省させられたものだ。
子供に求めることの方が強すぎるとよい親になる方の努力がつい怠りがちになる。
先日、私のテニスチームの古参の男性と子供とのキャッチボールの話になった。
最初のうちは楽しくやっているのだけれど段々と子供の投げ方が悪いと注意したり、ちゃんとせいと叱ったりしてしまうからいけない、
高いボールは手を伸ばし、低いボールには腰を落とし、横に投げてくれば横へ寄って受けと、こちらが良いキャッチャーであるように親として努めることも親として大切なことなんだねと苦笑いしながらおっしゃっていた。
テニス場から帰る道すがら、「さて、私は良いキャッチャーになれていたのだろうか?」と自問した次第。
唐突ながら、毎日の相場ちゃーとばっかりでなく、今日はこんな話も書いてみた。
今日は寄りは高く寄り付くだろうけれど、そんなに驚くほど上げはしないと
思っているが・・・