気づきは
外界から得るものではない
それは ここ 自分の内にある
見出したいものは得られるだろう
しかし、探し出そうとしているものは
私の手をすり抜ける
それは手に入らないものだからではなく
自分にはそれがないという仮定のもとに探し始めるから
望むもの あるいは少なくとも その種が
自分の中に既にあると思えばいい
それを確信すれば
私は私の夢を叶えられる
私自身が私の求める 光 だから
自分が完全なひとつの存在だという認識は
得ることではなく 発見することによって 手に入る
自分の本質を 空しい とは思わず
完全 であるという 豊かさを楽しむ