人は不可解な文であり 難解な言葉である
何でもそうであるように
何かを一旦言葉に落としてしまうと
言葉に出来なかったことは瞬時に失われる
しかし、何が失われたかは分からない
言葉にすることによって
それとは反対に言葉にすることができなかったことの方が膨大な世界なのだが
その世界を捨てざるを得ないのが言葉の持つ宿命だろう
だが現実はその言葉によって何かが分かったようなつもりになってしまう
ここに重大な言葉の罠が潜む
言葉は人柄を規定する
その人柄とのかかわりのツール(言葉)を通して
お互いを理解し合わなければならないのに
ほんのわずかな言葉に固執して
言い放たれた言葉との格闘を演じてしまうのが日常なのだ
それを我々は人間関係と偽っている
その関係性を言葉は規定していないにもかかわらず・・・
板をかつぐと、片側しか見えない
物事の一面だけを見て全体を見ることができない“担板漢“の板
身体が振り絞り、ひらかれた一つ一つのコトバによって
“担板漢“の板を下ろさなければならないのに
板の向こう側を見ず その板の高さをより高くしてしまう
まさに言葉は壁をつくってしまう
壁になった言葉を壊すには
“コトバ” に何の意味も見出そうとしないことだ
言葉はその言葉以外の意味を常に孕んでいるけれど
誰にもその意味は分からない
“ひと”は不可解な文であり 難解な言葉である