minayuyu2019’s blog

Life is what happens to you while you're busy making other plans.

秋の空

人間も

齢60をすぎると

腹を立てるどころか 腹が立たなくなって

やっと半人前くらいだなぁ~と思えるようになってくる

 

まだまだ道半ば

こんな時にこんなことで時間を失ってはならないと

ある種の諦観めいた思いの芽が出始める

 

自分を基準にしてものごとを論じないから

特に差し挟んで言うべきことがなくなり

寡黙という間の取り方が自然と身についてくる

 

 

語らざれば愁いなきに似たり

 

 

 

 

中国古典に「曲礼」(きょくらい)という『礼記』の一篇がある

(「曲」というのは「くわしい」という意味)

その「曲礼」の中に「年齢」のことが書いてある

60を「耆」(き)という
70は「老」(ろう)という
80、90を「耋」(てつ)という


そして60は「耆」(き)
「老」の上の字に
「旨」で「き」という

「旨」というのは「うまい」ということ

「うまい」というのは 

あまいとか酸っぱいとかという単純な味ではない

5つ(50年)の味をミックスした
たとえようのないデリケートな味のことをいう

これに手ヘンをつけると
「指」

指というのは独得のデリケートな働きをする


魚ヘンをつけると

「鮨」

独得のうまい食べもの

つまり、「耆」というのは

人生のあまいもからいも

あらゆる体験を通して 

なんともいえない人間の風味がでてくる年齢だということ

この礼記でいえば 60代は人生の黄金期といえそうだ

70は「老」

これは「老い」という意味もあるが 

「練れる」「熟する」という意味もある

「耆」がさらに練られ 熟していく年齢

そして、80、90は「耋」

「老」すなわち「練」がさらに至るということ

こう考えていくと人間の一生は楽しい

 

修身の意味がやっと分かりかけてくるのもこの頃

 

なにごとも熟してこそ

味わいがあるということだろう

 

 

秋も段々と深まっていく・・・

 

 

昨日はとっても素晴らしい秋空の広がる

暖かい一日だったなあ