ひとは一人で大きくなったのではない
簡単なことながら分かっているはずなのに
つい忘れがちなこと
歳を取ればとるほどに
その意味は大きく 深い
先日、広島に行った主な理由は、私をお育て頂いた親教会にお参りのため
若奥さんが脊椎を患われ、同時期にパーキンソン病を発病、身体も不自由に
なられているとお聞きし、お参りした
関西医大の専門医の執刀で8時間余の大手術の後、3か月ほどのリハビリを経て
無事に動けるようにはなられているが、入浴などの諸活動は看護の必要があるらしい
私が18歳の学生の頃から広島でのご縁を頂いている
親先生が亡くなられても、若先生は若先生で
若先生といっても80歳になられ、若奥さんも73歳
若先生はいくつになっても快活で頭の回転も全く鈍っておられず、
そういう疾病はあるものの、若奥さんも昔のままでいつもニコニコ若々しい
これもご信心の賜物なのだろう
お広前でご祈念をあげている間に、色々なことが思い出され、こみ上げてきて
ご祈念の声も絶え絶えになる
私にとって一番落ち着ける場所なのだと、改めて心得した
ひとは一人で大きくなったのではない
歳を取ればとるほどに
その意味は大きく深いものなのだ