minayuyu2019’s blog

Life is what happens to you while you're busy making other plans.

求道

「心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、

 食えどもその味を知らず」(孔子

 

心がここになかったら

視ていても見えない 聴いても聞こえない 食べてもその味が分からない

 

 

「医王の目には途(みち)に触れて皆薬なり 解宝の人は鉱石を宝と見る」(空海

 

名医は道に生えている草の中からも薬を見出し

宝を解(かい)する達人は普通の石の中にも宝を見つける

 

 

人生はこの二つの言葉が指し示すところに尽きると思っている

見る目を持った人が見れば

人を幸福に導く真理は至るところにあふれているのに

それに気づき、つかもうとする人がいない

真理は月の光のように満ちあふれているのに・・・

 

 

第一は「真剣に生きる」こと

成功を勝ち得た人は一様に、真剣に努力した人である

 

第二は「恩を忘れず、恩を返す」こと

受けた恩を忘れないで必ず返そうとする姿勢に、宇宙の霊妙な働きは呼応する

 

第三は「いまここに生きる」こと

人生は「いまここ」しかない その「いまここ」に集中する

心の焦点が定まっていない人に 真の気づきは得られない

 

第四は「学ぶ」こと

「頭白しとて このことによりてのみ 彼は長老たらず

彼の齢(よわい)よし熟したりともこれ空しく老いたる人とのみよばれん」(法句教)

 

高齢者になったから尊いのではない

高齢者になってもなお道を求めてやまないところに年を取る意味はある

結局、いくつになっても、どの年代であっても

我々の真価は「学び続けているかどうか」によって決まる

学ぶ心がなければ、自分の魂を磨くことはできない

 

真剣に生き

恩を忘れず、恩を返し

今ここに生き、そして、学び続けること…

私にとってのお金とはそれらを続けることのための道具にすぎない

真の目的を忘れそのお金を稼ぐことに大きな時間を割くことに意味はない

 

いくつになっても、道を求めてやまない人でありたいと願っている

 

 

まだ年若く60台で世を去るひとの話題が多い

その齢60を少し過ぎてしまった私も

上の言葉に習い うかうか惰眠を貪っている場合ではないのだが・・・眠い