minayuyu2019’s blog

There are two kinds of worries - those you can do something about and those you can't. Don't spend any time on the latter.

いのち

私は

いろいろな恩恵の中で生活を続けさせてもらっていることを

日に日に新しく思い いつも忘れてはならないことと思っています

生きているということは 生きることが出来るいのちを与えられていて

あらゆる恩恵の中に生かされているからであることは 言うまでもなく

 

世話にならなければ何もできず

世話にならずできることは 何ひとつない

 

生かされて生きているということは

お世話になって生きているということに外ならず

世話になっているということが

生きていることであり

生きているということと

世話になっているということは 切り離して考えることはできないのです

 

世話にならねば 生きていくことが出来ないのが “いのち”

いのちが大切である以上に そのいのちが世話になっているということを

さらに大切に考え 大切に思わねばならないのは当然

大切にするということは 

粗末にしない 粗末に思わない 粗末にあつかわないということ

世話になることを大切に思い 感謝し 有難いことと お礼を申さずにはおれない

 

世話になっているすべてが恩恵であります

衣食住はもとより 人間関係すべて世話になり通しに世話になって生きていて

あらゆる恩恵の中にあって 世話になり通しで生活できているのだということ

恩恵の中でお世話になりながら 

いろいろと困ったことや つらいこと 難儀なことに出会っているわけですが

 

難儀の中にいるのではなく 恩恵の中で絶えず世話になりながら 難儀をしている

 

難儀なことは 助かるように願わねばなりませんが 

世話になっている恩恵に対しては たとえ難儀の中でも常に感謝することを

忘れないようにしたいものだと しみじみ思います

喜ぶべきは喜び 感謝すべきは感謝し その中で難儀なことは助かるように願い

努力していかねばならないのです

とかく 困ったことばかりに力が入って 感謝すべき世話になっている恩恵を

真に有難いと思う心が足りないことに気づくことが多いのです

 

自分に役に立ってくれているもの 自分が世話になっているものに対して

口に出して礼を言う言わぬは別として

「お世話になります」「ありがとうございます」と お礼を言う心が

常に腹の底から湧いてくるような自分でありたいと 

私は願い続けているのですが

恩恵になれてしまって 当たり前のことのように思いがちな

自分の足りなさを 常に反省して生活しております

 

 

「木の切り株に腰をおろして休んでも 立つときには礼を言う心持になれよ」

との教えがあります

 

ものを言わぬものでも 自分が世話になり 

自分の役に立ってもらっているものには“礼を言う心になれよ“

 

これが

“もの言わぬものと ものを言う稽古” の原点なのであります

 

 

 

 

ウクライナの戦禍に逃げ惑う人々を見て 対岸の火事とも思えず

なにも出来ずにいる歯がゆさの中 

ふと 自分の生活に目をやると 改めていろいろな方々のお世話になりながら

日々安住に暮らせることの有難さを思うことであります